スポンサーリンク

コンピュータサイエンスは「終わった」

コンピュータサイエンスが軽視され続けていることは、1990年代から叫ばれていた。しかし、企業側はエンジニアリングの側面を強調して、論理的な理解などに力を注ぐことにあまり注意と投資を払ってこなかった。最近では、エンジニアリングの領域からも引き摺り下ろされ、単なる”作業/ワーク”になっている。コピペ(コピー&ペースト)でシステムを作り上げていくものだ、と思っている技術者が想像以上に多い。作業効率性と履き違えてしまっている。
こんな記事があった。まさに、悲痛な声で危機が叫ばれている。
クラウド時代の到来で、コンピュータサイエンスは「終わった」[日経コンピュータ]

コンピュータサイエンスが危機に陥っている証拠には事欠きません。バイオサイエンス(生命科学)と比べると、その差は歴然としています。バイオ分野では新しい実験装置や知見、医療技術、薬品が次々と登場しています。ところがコンピュータサイエンスではここ20年来、革新的と思われる技術が登場していません。
 私のような30代後半の研究者が第一線にいること自体、コンピュータサイエンスの危機の表れです。進歩が速いバイオ分野でめざましい成果を挙げている研究者は皆20代です。30代の研究者は「ご隠居」扱いですよ。

また、IPAによる意識調査もあった。
IT人材市場動向調査 調査報告概要版[IPA]
夢とか大変だとか、こういう感情も大切にしたい。でも本当に見つめなければならないのは、その向こう側にあるもの。つまり、この職を通して何が見えてくるのか、どのような意義があるのかということ。一言で言えばワークデザインである。
私は、システムエンジニアリングは芸術だと思っている。アートである。それは、磨かれた技術でくみ上げられた人の知や美、感情を表現したものである。たとえば、プログラミング言語は表現の道具であり、そのに展開されたコードにはさまざまなものが表現されている。ロジックであり、エモーショナルでもある。プログラムを読むとその人の性格や重いがわかる。その通りである。なぜなら、人がくみ上げるものだから。心配性であったり、冗長であったり、リスクに対して割り切っていたり、セッカチであったり。これを読み解き、共感しながらプログラムを修正して、より完成度の高いものに作り上げていく。これがサイエンスである。
どうしてこんなにも大切なことが軽視されてしまっているのであろうか?
このままでは、いつか、トバッチリがくるであろう。
なんとかしたいとあがいている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました