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音楽という芸術領域の終わりはあるか

「音楽はいつか終わりがくる。」
そんなことを言う人もいる。確かにそうかもしれない。
今の音楽は芸術というよりも、産業という要素が強くなり、個人的な趣味や興味というより、商業的な宣伝や流行という部分で成り立っている部分も多々ある。露出度が多い、メディアの恣意的な支持がそのままその音楽の”価値”につながるような場面があまりにも多い。
しかし、日常との接点ということろをみると、そうとばかりは言い切れない。芸術は組織として蓄積されていく智ではなく、個人的な体験にひもづく、ごく私的なものである。つまり、同じ音階の羅列であっても、その前後の音の並びや音色、歌詞、音量など、さまざまな条件が変われば、受け止められる印象は大きく変わる。単なる数学的な音符の羅列で音楽の限界は見えないということであろう。
ある文学者が言っていたことで、興味深いことがあった。文学に終わりはくるのか、という同じタイプの疑問にたいして、「NO」と言い切っていた。細かな言い回しは忘れてしまったが、根拠はこうだ。

そもそも文学は個人的な体験であり、その核となる要素は古代から3つしかないのだ。それは、愛、生死、友情。これが人間の世界からなくならない限り、文学は廃れることはない。また、”活字離れ”という言葉は、旧態依然とした出版業界から出た言葉である。文学という芸術は生活と密着したものであるため、言葉を使って様々な形で表現できる。

このことは、音楽のみならず写真と絵画、料理などほとんどの芸術領域にあてはまることであろう。
こう考えたとき、ちょっとしたつまらない意地が消え去り、お手軽なBGMでも作ってみたい、という気持ちになった。

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