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ニートについて

荒井山シャンツェ
なぜ、社会はこんなにもニートのことをかばうのでしょうか?
これ以上甘やかせる必要があるんでしょうか?
「ニートが存在できる環境」「ニートが生活できる構造」に大きな問題があり、これをドラスティックに改善していかない限りニートの数は減らないばかりか、本人のためにもなりません。
ここで改めて申し上げておくことは、ニートと引きこもりとは厳密に分けておく必要があることです。両者は、問題の性質や根本的な原因などがまったく違い、対処すべき課題やアプローチも大きく異なるからです。混同することは危険です。
さて、最も大きな問題は、もちろん、本人にあります。
■「親に食わせてもらっている」状況をどのように考えているのでしょうか?
生活保護を受けているニートは聞いたことがありません。
■最低限の自立を放棄するのはなぜでしょうか?
自分が成人したらどうするのでしょうか?
※成人とは年齢だけで判断するものではありません
■労働は国民の義務であることは憲法にも定められています。
日本人であるという自覚があれば負い目を感じるはずです。
社会構造も疑問です。
■なぜ働かなくても、勉強していなくても生きていけるのでしょうか?
■労働力低下や国力の低下を嘆くのであれば、今がんばっている価値ある人に投資すべき。
■ニートであることに対してペナルティを与えないまでも、行き過ぎたハンディを与えることをやめる
なんでもかんでも平等だという悪い考え方がニートを生んだのかもしれません。
機会の平等は大切です。しかし、誤った結果の平等は排除すべきです。不公平だからです。
・いくらがんばっても、周回遅れの人たちと同じ扱いを受ける
・自分の考えで創意工夫した独自アイデアに対して、前例や解答例と異なるから否定する
・レベルの低い人にあわせることを善しとする
・平均を重要視する
・何もしなくても結果は同じ、だからがんばる必要もない
こんなことをやってきたら、生きることやがんばることに価値が見出せなくなります。がんばれば、がんばるほど自ずと規定のレールから外れていくものです。このことを”悪”とする戦後社会の姿勢がすべてを台無しにしたように思います。
ホリエモンも同じことです。何でもかんでも”がんばれば良い”というものではありません。ルールから外れることや隙を突くことが目的となってしまったら、本末転倒です。目標達成や新しい世界を実現するために、結果としてルールが窮屈になることがあります。倫理と法律のバランスをとりながら、この状態を改善していくことが、真の改革と呼ぶべきではないでしょうか。
戦後社会で急速に失われていったものは大きいと思います。
・自分を育ててくれた親や近所の人々への感謝
・周囲の人たちへの礼儀
・親が子に注ぐ無償の愛情
・親が苦しくても悲しくても、子のためを思って叱ること
(親を上司と、子を部下と読み替えると理想です)
愛情、倫理、道徳、仁・義・礼。
どれも学校入試や就職試験にも出題されないものばかりです。
取り戻さなければならないものは、ここにあるのではないでしょうか。
ニートにテーマを絞りましたが、人材育成の基礎はここにあるような気がしてなりません。
人が人と接することを忘れてしまったらおしまいです。給与や役職で人の価値は決められない。
私もさらに活動範囲を広げて、できる限りの力を注ぎたいと思っています。
理由は簡単。もっともっと社会が活気に満ち、面白くなるからです。

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